【0】國分功一郎『中動態の世界』を読む

『中動態の世界』は、2017年に出版された比較的新しい哲学の本。

この本はおそらく、「ふつう」の本とは違って「新しい世界」を提示することを目的として書かれているように感じられる。

つまり、なんらかの問題が既存の考え方では太刀打ちできなくなっていてそういう状況を打開するために新しい世界観を提示するということが企図されている。

実際、ある種の流行りの言葉として「中動態」はあると思う。

哲学書であるのに一般に読まれているし、学術論文でもしばしばこの言葉を見る。

 

では、「中動態」とはなんなのだろうか。

今のところ私にはわかるようでわからないような概念だ。

この本は、一度すでに読了している。

一読目は、その「新しさ」感動を伴いながら読みつつ、読後は「わかるようでわからない」というなんとも居心地の悪い気持ちになっている。

 

新しい概念が導入されるときにはその概念を導入することによって生じる嬉しいことがあるはずだ(それがないのならそもそも導入する必要がない)。

では、「中動態」という概念を導入すると「何が嬉しい」のだろうか。

 

「わかるようでわからない」と言いつつも、全く意味不明で意味のない概念だとも思えないのが、著者の書き方のずるいところだと思う。

私の関心としては、中動態の世界において「責任」とはなんなのだろうかということがある。

この本のサブタイトルは「意志と責任の考古学」になっているが、ほとんど「責任」については記述がされていない。

著者が「責任」について書いているのは、『〈責任〉の生成』や「中動態から考える利他−−責任と帰責性」があるが、いまいち彼のいう「責任」がピンとこない。

 

わかるようでわからないこの「わからなさ」を大切にしつつ、「わからなさ」を手放さないように気をつけつつ、ゆっくり読んでいきたい。

目標は、「中動態における「責任」を理解すること」と「なぜ中動態はピンとこないのか」ということを言語化していくことということにさしあたり設定しておこうと思う。

 

だらだらと、最初から読み進めていきながら色々と考えたい。